アイスハート

一片氷心で四季を巡る書斎ブログ

30歳サラリーマン。このたび某上場企業にて初めての肩書きを拝命しました

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首都圏勤務の任期を終え、8月1日より地元へ戻り、古巣での仕事に再び着任しました。

首都圏での仕事ではストレスも多く、休日出勤や夜勤をしては体調を崩し、有給も代休も療養に当てざるを得ないような、仕事一筋の3年でした。

その間、平社員として2回の昇給を経て、帰着後はじめての肩書きである「係長」を拝命しました。

私の属する86世代というと、ネットの界隈では高知山奥のプロブロガーや、何かとTwitterが炎上する女性作家(自称)さんが有名で、ここ最近では31歳からラッパーを目指す人がいたり、印象的な人が多く属しています。

せっかくなので、普通の道を選んだ名もなきサラリーマンが、ここまでのサラリーマン人生について記録も兼ねて振り返ってみたいと思います。

問題児と言われた新人時代

思い返せば新人時代の私は、当時の上司や年の近い先輩から「問題児」の烙印を押される程度に仕事のできない人間でした。

大きな問題こそ起こしたことはありませんでしたが、仕事の覚えが悪く、小さなミスを毎日のように繰り返していました。最初は優しかった周りの空気も、日を重ねるごとに淀んでくるのが自分でもわかるほどでした。

「これから約40年、果たして仕事を続けていけるのか?」

入社1年目、寂れた駅から夕焼けを見ながら夕日と共に群青に暮れていくのは私の心でした。

3ヶ月の試用期間を経た頃には、暗に退職を促されたり、応接室に呼ばれて怒鳴られながら退職願を書けと(今思えばパワハラですが)詰められた事もありました。別の支社に配属された同期から、私が他の先輩社員からどういう評価なのか、聞きたくないことを耳にする事もありました。

この頃は、毎晩次の日が来ることに怯えて眠ることができず、負の連鎖から逃れることができず、自分すらも見失っていたのだと思います。

仕事を辞めてしまうことは簡単だったのかもしれませんが、当時は大学時代から付き合っていた彼女との結婚するために進学の夢を諦めていたこともあって、引くに引けない状況でした。

転機は本部への異動

そんな私の転機となったのは、入社2年目の冬に受けた、本社のシステム部への異動でした。

私の入社した会社では通常、支社での内部事務を一通り経験した入社2年目ぐらいのタイミングで、営業職を命じらられるのが普通のことです。

そこへ通常では考えられない突然の本部システム部門への異動。大学は文系で、パソコンは趣味の範囲でしか触ったことがない程度の素人だったので、当初は左遷人事だと思い意気消沈していたものです。

本部での仕事もはじめは大変でした。業務内容がとにかく特殊で、入社以来聞いたこともないような単語が飛び交う毎日です。

これからどうなるのだろうという不安もありましたが、別会社へ入社したような気持ちで心機一転、とにかく目の前にある事を一つ一つ全力でこなして行こう、分からないことは分からないと開き直ろうと心に決めたのでした。

幸い、業務内容が特殊であり、私が全くの素人であることについて周りの理解があったため、やがて自分の思うように仕事をこなしていく事ができるようになりました。

穏やかな日常は、仕事に忙殺される日々へ

1年ほどは穏やかな日々が続きましたが、理由もなく私が本部へ配属された訳ではありませんでした。

配属直後に告げられたのですが、その頃、私の会社は10年以上使用した基幹システムの更改時期を控えていたのです。私はその末端の担当者であり、新しいシステムが稼働したあかつきには次世代のシステムの面倒を見るための世代交代要員の一角とのことでした。

基幹システム更改をどのようなものか簡単に例えるならば、長年使用していたパソコンを新しいパソコンへ移すという、謂わばシステムの引越しみたいなものです。しかし、その規模感はパソコン1台を新しいものに変えるような単純なものではありません。

規模感をもうひとつの例にするのなら、タワーマンションの住人全員の誰一人に迷惑をかけることなく、全く新しいタワーマンションに引越しをするようなレベルです。個々の部屋の間取りはもちろん、個別に配置された家具ひとつに至るまで、全く同じように引越しをしなければなりません。

数年単位の仕事となりまして、今となっては少々のことは忘れてしまいましたが、残業も非常に多く、特に体力面が大変でした。

ただ、ちょうどこの頃、結婚を考えていた彼女と事情があって別れることになってしまい、体力面のみならずプライベートでは精神面も辛かった事だけは鮮明に覚えています。

台風一過

システム更改は細かいトラブルは少なからずありましたが、大きなトラブルもなく無事に終わりました。

しかしプロジェクト期間中、メンバーのうち2人が帰らない人となりました。因果関係は不明ですが、世間でいわれるブラック企業ほどの超長時間労働はありませんでしたので、末端の人間である私にはこれ以上は言及できません。

ただ、そういうことを考えると、必要なことであったとはいえ、胸を張ってプロジェクトは成功だったと言えるのだろうか、と今でも何となく思うことがあります。

その後の数ヶ月はあっという間に過ぎ、新システムに全ての社員が慣れてくると、再びシステム部に異動した直後のような穏やかな日常が訪れました。まるで、何事もなかったかのように平和な日々に、台風一過のような晴れやかさと、同時に不気味さも覚えたものです。

ちょっと前まで、バタバタとずっと必死にもがき続ける日々が当たり前だったのに、突然時間を持て余すようになった日常が私は好きになれませんでした。

過去、システムが更改されたあかつきには、首都圏への特殊業務に1名着任させるという話しがあり、当時は冗談のように「私が行きます」と軽口を叩いていていました。稼働後初の上長面談で今度は真剣に私の意向を伝え、志願兵というかたちで3年間という任期付で首都圏へ着任したのでした。

3年間はあっという間だった

詳細は割愛したいのですが、それからの3年間(正確には更に+2ヶ月)はあっと言う間でした。

非常に優秀なエンジニアたちに囲まれ、また私のような若手の社会人ではとうてい考えられないような実に貴重な体験ができました。少なくない失敗もあり、本当に多くの人に助けられて走り抜けた3年間でした。

3年間は短いようで長く、長いようで短い間には本当に様々なことがありました。

手を伸ばせばなんでも手に入る首都圏での生活、プライベートでは訪れないであろう全国各地方を出張行脚、炎上プロジェクト中に父が亡くなってしまったとこと、そんなことを考えながら、任期満了の際、首都圏の会社に転職はせずにもう一度地元へ戻ることを選択し、今に至ります。

某上場企業にて係長を拝命

そして帰着後、拝命したのが「係長」という肩書きでした。

スピード出世とは言い切れませんが、新入社員の頃のダメさ加減を考えると、ここ数年間に限れば社内での出世スピードは常に最短ルートでした。

しかし正直なところ、まだ私に初めての肩書きが乗せられたことに実感はありません。実感の無いまま、細かい書類の検印欄に私の苗字のシャチハタ印を押し、書類の承認をするような毎日です。

また、新入社員時代に私を問題児扱いした先輩と一部の上司、そして精神的に辛かった当時、心の支えになってくれた多くの同期生よりも社内での立場が上になったことも、やはりまだ実感がありません。

ただ、それでも「係長」と呼ばれること対して、どこか心にくすぐったさのようなものを感じますし、実際のところ悪い気は全くしません。

きっとこれから私が携わる仕事内容に対する責任だって、徐々に重たくなって行くのだと思います。これから良いこともあれば、嫌なことにも正面から立ち向かわなければならない日だって必ず来るでしょう。

それでも私は、そのたびに正しいと思った選択を繰り返し、素直に正直に働いて行きたいと思います。

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