アイスハート

あの時、凍った私の心。炉心溶融、人を愛す心はいつ溶るのか。傷だらけの一片氷心の日常。

『きみ去りしのち』重松清/涙が止まらない長編小説、間違いなく名作。

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近頃は、読書時間の確保にもお手軽な短編小説を読む機会が多かったのですが、同時進行で本書も読んでおりました。

本書は、最近読んだ本と同じく、長らく積ん読になっていたものです。

幼い息子を喪った「私」は旅に出た。前妻のもとに残してきた娘とともに。かつて「私」が愛した妻もまた、命の尽きる日を迎えようとしていたのだ。恐山、奥尻、オホーツク、ハワイ、与那国島、島原…“この世の彼岸”の圧倒的な風景に向き合い、包まれて、父と娘の巡礼の旅はつづく。鎮魂と再生への祈りを込めた長編小説。

第1章『きみ去りしのち』

青森県は恐山へと旅をする。
季節は、冬の気配のする10月、秋。
一向は、青森県のとある病院で女医をしている喪服の女性と出会う。

前妻の元に残した娘と、現在の妻との間に生まれた1歳と1週間で亡くなった息子の巡礼の旅のはじまり。

裏面のあらすじと、哀愁漂う表紙から読み始めるのに勇気が要りましたが、読み始めると物語の世界へすらすらと入って行けます。

それに一役買っているのが関根さん(主人公)が前妻の元に残した、あっけらかんとした性格の明日香(娘)の存在。

関根さんは明日香にとって血の繋がった父親ですが「関根さん」と呼び、父親から「明日香」と呼ばれる事を嫌う、年頃の娘なのですが、彼女の存在無しでとてもじゃないけれど、重すぎて読み進められません。

第2章『嫌いだった青空に』

北海道は奥尻へと旅をする。
季節は、前回から二ヶ月後の12月下旬〜1月上旬、冬。
滞在先に決めた、1993年の北海道南西沖地震(奥尻島地震)の被害区域にある旅館の女将さんは、震災で夫を失っていた。

本作品のを読了し、書評を書くに当たって、1993年7月12日に起きた上記の震災を知ったのですが、当時6歳だった幼い私には記憶に無く、私より年配の方々には古い記憶を呼び覚ますことになるかもしれません。

東北地方太平洋沖地震は記憶に新しく、地震や震災関連の情報では阪神淡路大震災などと比較されるのですが、自然災害で心身に傷を負った人はもっとたくさん居ることを思い知らされます。

由紀也(関根さんの亡くなった息子)は、夫妻が眠る未明に心臓が止まる、という悲劇でしたが、「突然の不幸に見舞われた」「どうすることもできなかった」、という点では少なくない共通点のある巡礼になっています。

私の親族が東日本大震災で様々なものを失ったため、特別な思いで読みました。

【参考】

第3章『冬の歌曲』

北海道はオホーツクへと旅をする。
季節は、前回から少し流れて2月。冬。 流氷に一番近い駅(北浜駅)で、関根さんと同じく息子を失った、植野さん老夫婦に出会う。

フランツ・シューベルト『冬の旅』(=孤独な旅)がテーマとなっている本作品。

関根さんと同じ痛みを持つ老夫婦と、流氷に近づくにつれて少しずつ打ち解けていく構成は鳥肌ものです。

「悔やんだってどうしようもなことだし、何年もたてば、昔息子がいたんだっていうことも、ふっと忘れるときがある。だけど、悔やんでるんだ、ずうっと」(152ページ)

本章がラストへ、流氷へ近づくにつれて、思わず泣きそうになってしまいました。我慢しなかったら間違いなくボロ泣きだったと思います。

【参考】

第4章『虹の向こう岸』

東京へ帰宅する。 季節は、街路樹の桜が咲きこぼれるまで、まだしばらくかかりそうな早春。おそらく2月下旬から3月上旬。
思い出すのは、前妻(美恵子)と新婚旅行で訪れたハワイ島。

いったん東京に戻ったのもつかの間、明日香の母(関根さんの前妻)の病に倒れ、夏まで持たないことを告げられる。

あっけらかんとした性格で、これまで関根さんの旅を半ば牽引してきた、明日香の弱さと若さが垣間見えます。

また、これまで現在の妻(洋子)を連れずに旅をしていましたが、それは妻を孤独にさせることではない事のようです。

「二人一緒のほうが、わたしはつらいし、いまでも怖い……」
私たちは、二人そろって、由紀也を死なせてしまったからーー。
同じ部屋にいる由紀也の心臓が静かに動きを止めてしまったことに気づかず、私も洋子も、ただぐっすりと眠り込んでいたからーー。(177ページ)

由紀也が死に、美恵子も長くはない、関根さん自身の心境を思うと、洋子の言い分が身勝手な様にも思いますが、洋子にとっては初めての結婚で、初めての子供だったことを思うと、単純比較なんて到底できません。

「もう死んじゃった人を思う悲しみと、これから死んでいくひとを見送る悲しみって、どっちが深いんだろうね。」(194ページ)

そして、死にゆく美恵子に会うことを洋子からゆるされ、物語は次へと続きます。

第5章『風の中の火のように』

熊本県は阿蘇へ旅をする。 季節は、おそらく3月中旬くらい、春。
美恵子と明日香に誘われ、洋子と共に草千里浜の野焼きのボランティアへと訪れる。

関根さんの前妻である美恵子と、現在の妻である洋子とが、顔を合わせることになります。

私は二度も「父親」になりそこねた。
「夫」としても、私はいま、二度目の挫折をしているのかもしれない。(210ページ)

由紀也の二周忌を迎えてもまだ、立ち直る事ができない夫婦。由紀也の死を軸としたすれ違いから、破綻へのカウントダウンが始まっているかのように語られる本章。お互いどうすることでもできないけれども、ただ教えて欲しい。

「教えてほしかったの。だから、邪魔になることはわかってたけど、ここまで来たの」
「でも、俺には……なにも……」
「あなたじゃない」
美恵子に訊きたかった。
明日香に訊きたかった。
人生の残りの時間を決められてしまったひとと、もうすぐひとりぼっちになってしまうひとに、教えてもらいたかった。(219〜220ページ)

本章は、これまで交わることのなかった、2つの家族がついに交わるという、物語の折り返し地点という重要な位置付けになっています。

【参考】

第6章『まほろば』

奈良県は町を離れた里へと旅をする。 季節は、4月、春。花の旅。
明日香経由で、美恵子から明日香に花(菜の花、レンゲ、桜など)を見せに連れて行って欲しいと依頼され、美恵子の様々な友人と柳井さんに出会う。

柳井さんは、まだ虐待や自立支援ホームやシェルター、里親という言葉が世間に知られるよりずっと前から(かれこれ20年)、家庭の事情で親と一緒に暮らせない子供を預かっている、友人というよりは美恵子の姉貴分です。

<柳井さんは、いまのわたしとあなたと同じ四十三歳のときに、ご主人と二人のお子さんを交通事故で亡くされています。東京に生まれ育った柳井さんは、その数年後に、奈良に移り住んだのです>(245ページ)

柳井さんもまた、関根さんと同じく、大切な家族を亡くしています。

本章のタイトルとなっている『まほろば』とは、柳井さんいわく、花がいっぱい咲いている天国のような場所とのこと。

これが美恵子のしかけた、明日香に見せたかった花なのか、なんとも言えませんが、柳井さんが預かり育てた子供との別れに二人(関根さんと明日香)は『まほろば』を見ます。

第7章『砂の暦』

島根県は琴ヶ浜へと旅をする。
季節は、例年より早い梅雨入りを感じさせる、5月。
相変わらず、明日香経由で美恵子から、人生のカウントダウンに砂時計が欲しい、という依頼を受け、タクシーで各地を巡る。

諸説あるようですが、本章ではイザナギ・イザナミ神話のルーツは島根県にある(タクシーの運転手、岡村さん曰く)と語られ、明日香が気に入り手に取った「百個の星が宇宙から消える時間の砂時計」と、「赤ん坊が百人生まれるまでの時間の砂時計」が、黄泉の国へ行ったイザナミに会いに行ったイザナギが、化け物となったイザナミと決別をする、下記のシーンの様だと比喩(揶揄?)されています。

イザナミは「愛しいあなたがこのようなことをするなら、あなたの国のひとびとを一日に一千人殺しましょう」と言った。すると、イザナギは「ならば、私は一日に千五百の産屋を建てましょう」と言い返し、黄泉比良坂をあとにしたのだという。(308ページ)

本章のキーマンが、冒頭から登場するタクシー運転手である岡村さんなのですが、これまでデビュー前の演歌歌手とそのマネージャーと誤魔化して旅をしてきた、関根さんと明日香を親子と見抜きます。そして、岡村さん自身も並々ならぬ人生を歩んできた人であることが終盤にかけて語られます。

【参考】

第8章『瑠璃色のハイドゥナン』

沖縄県は与那国島へと旅をする。
季節は、おそらく6月くらい、夏。(沖縄ではもう真夏)
与那国島のホスピスへ渡り、最後の時を迎える美恵子に会いにいく。

宣告された余命が間近に迫る、美恵子に関根さん夫婦が会いにいきます。

沖縄といえば、青い海、広い空、日本の常夏、楽園のような島、そして戦争の爪痕、というイメージですが、かつての地域には今では考えられないような習わしがありました。

そして、美恵子と明日香からオススメされて最初に向かったのが、そんな土地、久部良バリ(くぶらばり)。

かつてこの島には重い人頭税が課せられていた。人口が一人増えれば、そのぶん税の負担が増す。
(中略)
子供をみごもった女性は、久部良バリに連れてこられる。「久部良」とは、西端の集落の名前。「バリ」とは島の言葉で、漢字で書くなら「割」になる。合わせて、「久部良にある岩の割れ目」という意味だ。妊婦は、その割れ目を跳び越えなければならない。幅は狭いところでも約三メートル。大きなおなかで、そこを越える。しくじったら、深さ七メートルの割れ目に落ちる。まず、助からない。母親はなんとか一命をとりとめても、おなかの子供は流産してしまう。たとえ跳び越えることができても、やはり流産してしまうケースも少なくなかっただろう。(332〜333ページ)

知りませんでしたが、与那国島の中では、観光地とは呼べないものの、最も名の通った場所のようです。

物語もいよいよ終盤で、美恵子の入院するホスピスの豊見城先生ですが、彼もまた病気で娘を失っており、それから十数年が経った今でも自分たちが娘へ施してきた事が果たして良かったのか、今でもなお悩み、迷い続けています。

「まだ迷ってる。娘にしてやったことがよかったのかどうか、女房と二人で、ずうっと迷ってるよ。」(367ページ)

言葉になりません。

そしてやがて本章の終わりが近づくのですが、もうこの辺から涙が抑えきれませんでした。

【参考】

第9章『風のはじまるところ』

長崎県は島原へと旅をする。
季節は与那国島の美恵子の入院するホスピスを訪れた、おそらく3週間後くらいの7月、夏。 美恵子の友人から誘いを受ける。

美恵子が亡くなったのは七月初め−−私と妖狐が与那国島のホスピスを尋ねた二週間後だった。

もうひとりの主人公であった美恵子が、ついに亡くなった後の物語です。

関根さん夫婦を島原へと誘ってくれた山本樹里さんもやはり家族を亡くした人で、22年前に弟を亡くしています。

本書ではここに至るまでに、関根さん、あるいは関根さん夫婦が出会った人物たちは誰かしら家族を亡くしていますが、樹里さんはこれまでの誰とも異なります。

「もう一つ、交通事故で亡くなるのと病気で亡くなるのとでは、大きな違いがあります。交通事故には原因があるんです。自分に原因があるんなら、自分が悪い。そうですよね?でも、そうじゃないときは……誰かが、悪いんです」
樹里さんはそう息を大きくつき、顎を震わせながら息をまた吸い込んで、続けた。
「恨む相手や憎む相手ができてしまう亡くなり方なんですよ、交通事故って」(398ページ)

とても、当たり前ですが、言われて初めてはっと気づきます。もちろん、誰かを亡くす事は比較してどちらの方が悲しい、なんて割り切る事なんてきません。

しかし、交通事故で家族を亡くすという事は、これまで登場してきた誰のそれとも異なります。しかも自分や自分の家族に原因がある訳ではありません。

「誰かを憎んだり、恨んだりするときの顔って、かなしいよ。ふつうの『悲しい』じゃなくて、哀れなほうの『哀しい』。わたしは、自分の両親があんな顔するのって見たくなかったし、もう、これからだって絶対に見たくない」(401ページ)

そして、樹里さんは弟を失う原因となった、かつて近所に住んでいた大西さん夫婦たちと出会うのですが、どうなったかは是非読んで確かめてみてください。

「いま、なにか言おうおとしてただろ」
「うん……でも、忘れた」
「なんだよ、それ」
「お父さん、って一回だけ呼んであげようって思ってたのかな、どうだったかなあ」(421ページ)

そして旅が終わります。

【参考】

総合的な感想

とても胸を締め付けられるような物語でした。読んでは泣き、書評を書こうと何度も開くとその度泣いてしまう、間違いなく名作でした。

移ろう季節、夫婦とその子供の、喪失と再生の物語。

最近ですと『流星ワゴン』がテレビドラマ化され大人気のようですが、『流星ワゴン』で重松清を知った方には是非手にとって読んでいただきたい作品です。

本当に良い作品でした。

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